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2008年03月 アーカイブ

2008年03月28日

女性じゃないです!

おっさんです。。

亀井 静香(亀井 靜香、かめい しずか、1936年11月1日 ‐ )は、日本の警察官僚、政治家。衆議院議員(10期)。男性である。国民新党代表代行。死刑廃止を推進する議員連盟会長。職歴は警察庁入庁後、警察官僚となり警察庁長官官房調査官を最後に退官。警察官時代の階級は警視正。その後、衆議院議員となり、運輸大臣(第72代)。建設大臣(第69代)を歴任。

参議院議員の亀井郁夫(国民新党副代表)は実兄。

政治
実家は農家である。資金集めのために何かと無理をすることがあり、献金絡みの事件があると都度々名前が挙がった。
かつては将来の内閣総理大臣候補と目されていたが、郵政民営化法案に反対し新党を立ち上げたためその可能性は極めて小さくなった。 しかし、面倒見の良さと強烈なカリスマ性による政治的実績は評価すべきとの見解もある。
選挙の際、名前にちなむ「亀」をトレードマークとしたバッジやステッカーを配り、子どもたちの間ではやった。このキャラクターは、今でも公式ホームページ上で見ることができる。
警察官僚としての経験から、誤認逮捕や冤罪は必ずや起きてしまうものとして、死刑制度廃止に積極的に取り組む。アムネスティ・インターナショナル関係の集会にメッセージを寄せることもある。
若い頃は自由革新同友会(旧中川派)に所属していて、国家基本問題同志会の座長を務めるなど、タカ派のイメージが強い政治家の一人であるが、小泉純一郎などの親米保守ではなく、日本の誇りや信頼を失う愚策だとしてイラクへの自衛隊派遣に反対している。 亀井自身は「タカ派か? ハト派か?」と訊かれたら「ハトを守るタカ」と答えている。
長いこと自民党に所属していたが、学生時代にマルクス主義を勉強していた影響もありエルネスト・チェ・ゲバラや大塩平八郎を崇拝していて、社会民主主義傾向も強い。したがって、保守政党である自民党の理念に賛成しないときもあった。
清和会所属時代の1989年、海部俊樹支持の安倍晋太郎の意向に反して、同じく清和会の石原慎太郎を自由民主党総裁選挙に担ぎ出し、派閥からの退会処分を受ける。 その後派閥に復帰、旧安倍派を継いだ旧三塚派では、同派の幹部森喜朗と張り合うまでに影響力を拡大した。塚原俊平、平沼赳夫、桜井新、中川昭一らを擁して派中派・亀井グループを形成し、派閥の意向に反して、橋本龍太郎(1995年)、梶山静六(1998年、いずれも旧三塚派候補は小泉純一郎)らを総裁選に担ぎ出すなど、独自行動をとることもしばしばあった。
運輸大臣当時の1994年、日本航空が計画していた客室乗務員の契約制客室乗務員としての採用に対して、「乗客の安全を守るべき客室乗務員に極端に異なる2つの雇用体系が存在すると、士気の低下に繋がり安全上好ましくない」と格差解消や安全面から強硬に反対し白紙撤回させた。 許認可権を盾にとった上、規制緩和に逆行するとしてマスコミにも取り上げられ、日本航空のシンボルマークである鶴との対比から「鶴亀戦争」などと呼ばれた。 労働組合の意見をそのまま受けたとも言われるような意見は、前年自民党が野党転落のおり、亀井が空港の特別待合室を利用しようとしたところ日本航空側に拒否され、その報復とも囁かれた。 また、日本航空の社内では、その裏に何らかの利権があるのではないかと言われたりもした。結果的に、「子会社が客室乗務員を採用し親会社に出向させる」、「正社員には移行させない」といった当初案から、「数年間の有期限雇用の契約社員後、正社員へ移行」に変更され導入された(詳しくは、契約制客室乗務員を参照のこと)。
運輸大臣に就任後、全国の高速道路サービスエリア、パーキングエリアの営業を、1社独占から複数社の競合に改める改革を実施し、サービス水準の向上を図った。
一度、高速道路のサービスエリアで清酒販売を行わせるべきと発言し、実行させようとした。高速道路で飲酒運転事故により身内を失った家族らから猛反発されることになり、現在では白紙状態である。
政調会長に在任中は、公共事業の見直しを表明し、連日深夜に及ぶ議論の末、中海干拓事業などを含め2兆7000億円削減した。これに反発した業界団体は、実兄の亀井郁夫が参院選に立候補した際、支援を拒否した。
しかし、亀井自身の経済政策の基本的なスタンスは、国債発行による景気対策、公共事業による景気回復である。小泉政権下では、小泉首相が掲げる新自由主義への反発から、一貫して反主流を歩んで小泉首相を批判しており、郵政民営化も猛烈に反対している。現在では犯罪とされる談合についても、2006年4月18日の国会での質問で「地方救済の為には必要。日本のよき助け合いの精神」などと正当化している。弱者救済・地方振興を主眼とする経済思想は、国民新党のマニフェストにも表れている。本人のHPには、ダム建設や干拓などの大型事業に反対である旨記しており、そのような事業を進める余裕があれば弱者救済などに向けるべきであるとしている。こうした大型公共事業に反対の姿勢を明確にする議員は自民党内では極めて少数派であった。
2003年の自民党総裁選では「(小泉総裁の再選は)500%ない」2005年の郵政民営化法案審議等のような政局の緊迫時にはたびたび「(小泉首相は)独裁者、ヒトラーのようだ」等と訴えた。後に小泉首相によって自民党を「除名」された時には、「ヒトラーでもやらない事をやった」と吐き捨てた。外国人記者クラブの会見で第44回衆議院議員総選挙での自民党執行部の刺客作戦について「政治的ガス室に入れられた」「刺客を放って仲間を刺し殺す自民党では日本はおしまい」と発言。
2005年の郵政民営化法案を巡る政局では、自民党総務会において郵政民営化法案が多数決採決された際、多数決の無効を主張する意味で採決を棄権した。
郵政民営化法案反対派を煽動して解散は絶対ないと何度も断言し、同法案の参院否決前後に心配した森喜朗が電話をかけた際には浮かれて祝勝会を行っており、話題になったミモレットの挿話と併せて、いわゆる小泉劇場のピエロ役にされてしまった。
志帥会(旧亀井派)でありながら郵政民営化法案に賛成票を投じて2005年8月1日に自殺した永岡洋治衆議院議員の葬儀で葬儀委員長を務め、「私がふがいないばかりに、君を守ることができなかった。許してくれ」と弔辞を読んだ。しかし、同年8月13日に永岡議員の妻の永岡桂子が郵政法案賛成の遺志を継ぎ、自民党から立候補したため面目を失う。このことから、亀井の側近議員の陰湿な圧力が、逆にクローズアップされることになった。
ホリエモンと選挙で戦った際に「大麻やら薬やらをやっている若者に支持を受けているようだから信用に値しない」とTVで発言した。
2007年2月13日の衆議院予算委員会で6年ぶりに(国民新党結党後初めて)質問に立ち[3]「まさか自分が野党側で質疑応答するとは想定外でした」「(安倍首相に対し)小泉総理時代の思想はやめて自分なりの思想でやってはどうだ」「創価学会の名誉会長の池田大作との安倍総理の2者対談をしたのか?」など、安倍首相の姿勢や創価学会関連の質疑応答を中心に行った。またこの際、事前に答弁用紙を用意せず、質疑を行った。
国民新党代表代行として、2007年の第21回参議院議員通常選挙では民主党との連携の中心的役割を果たし自公連立政権の過半数割れを実現。一方で、「国会や選挙での共闘といっても、(民主党という)泥舟に乗って戦いはやれない」と発言した。
2007年11月21日国民新党の会合でのあいさつにおいて、自民、公明両党推薦の現職候補が敗北した大阪市長選に関連し「創価学会の麻薬で生きてきた自民党だが、麻薬が効かなくなると大変だ。慢性依存症が強くなっていて、そこが手を引くと、全体ががたついた」と発言した。[4]
2008年3月、日銀総裁人事で自民党と民主党が対立し、日銀総裁が空席になったことに対し、「(民主党と自民党という)バカとアホの絡み合いで日本が沈んでいく」と発言した[5]。
(以上、ウィキペディアより引用)

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